姑80歳のお誕生日膳
2017年 01月 14日
ここでは、あり得ないくらい最悪の出来事が連発。
すごく長くなるので、これはまた後日。
この家族一同のお誕生日会終了後、姑も私達と一緒にやってきた。
私はもう歩くのもやっとの状態だったので、姑には次兄宅に行ってもらったが、翌夕にも次兄家族達との会食があった。
ナンピョンとの関係も最悪で、会食でも大泣き。←痛みから開放されないストレスが一番の原因
兄夫婦もこれは我が家に姑を送っては駄目だと思ったのか、姑を計3日面倒みてくれた。←私がどんな状態であれ、姑が来ないという選択肢はない
そして、姑はその後、我が家に3日間だけ滞在。
しかし、姑の本当の誕生日は我が家に滞在中だった。
夕方の会食ではないので、朝にしっかりお誕生日膳を作らなければならず(別にゲストが来るわけではない)、前日夜から、分娩のような痛みに耐えながら準備した。
自分がこういう状態なので、姑を純粋にお祝いしたいという気持ちは全くわかず、嫁としてナンピョン家族の誰からも避難されることのないようやり遂げよう!という執念だけでやり切った。
韓国ではナンピョン家族の誰にも助けてもらうことができない。
それを今回のみんなのお誕生日会でも痛感。
↓これが執念で準備したお誕生日膳
姑は一口ずつも食べなかったが、「コマプタ(ありがとう)」と言ってくれた。
正直、今回の姑の弱った様子をみると、来年のお祝いはないかもな...と思ったので、全部やり遂げた後は、私の中で後悔はないなと思った。←今回、姑はたまたまかもしれないけれど、我が家に置いていた私服を持ち帰った
ただ、ナンピョンからはありがとうの一言もなかった。
私がどんな状態で準備したのか、ナンピョンだけが見ていたので知っている。
別にお礼を言われたいから作っているわけではないけど、労りの言葉が欲しかった。
この日の夕方も姑のお誕生日ということで、次兄家族と会食。
夫婦を続けるのは、本当にしんどい。